2013年7月30日火曜日

「宇宙世紀は戦争だらけなのはなぜ?」という問に、富野由悠季はどう考えたか?

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ガンダム作品ってのはとにかく「宇宙世紀」の作品が人気で

ここを舞台にした作品がTVアニメ、映画、OVA、漫画、小説、更にはゲーム、ハリウッド映画・・・

とまぁ大量に存在しています

特に一年戦争の周辺なんか外伝やらが大量に作られ、もうひっきりなしに戦争勃発してる状態です

人間の歴史を考えた時に、基本的にデカイ戦争があった後は

しばらく平和な世の中が続いてるんですが

宇宙世紀にそんなことはありません。常に戦争だらけです


もちろんこれはメディア展開を考えた上での仕方がないことなんですが

ガンダムは「リアルロボット」であるから、この戦争だらけの状況にも

何らかの理屈を付けなければなりません

この理屈を、総監督・富野由悠季氏はどう考えたか、今回はそういう記事です


続きを読むからどうぞ!








では、どう説明したか?


それは「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の上巻の「序」

ここには、こんなことが記載されています


 生活空間の拡大は、いったんは人類によって汚染された地球を、救済する道を拓いたかに信じられ、地球は再生しないまでも、その余命を伸ばしつつある徴候をしめた。
 しかし、生活空間の拡大は、宇宙の広さに比べれば、劇的に矮小なものであるにもかかわらず、人類は、さらに卑小な種の内部にあって、階級闘争と種族闘争をやめてはいなかった。
 むしろ、生活空間を拡大しえたと錯覚した人類は、角層、各地域、各思想により部内対立を深めることに狂奔しているようにみえた。
 むろん、地球時代は、生活空間が限定されていたために、その末期には、人は、地球の危機的な逼塞状態をしって対立をやめ、内部分裂を共存するおだやかなフラストレーションの時代を体験していた。
 しかし、宇宙移民といご、人類は、圧殺されていた対立と闘争の本能を思い出したかのようだった。テリトリーの拡大が、新しい闘争の芽を内包していたと見るべきであろう。
 人は、宇宙に出て、その本能をよりのびやかに開化させたのかもしれない
 歴史は、逆転したのである・・・・・・


結構長くなってしまった・・・・

要約すると、「宇宙に人類が進出したら、よくわからんけど戦争ばっかりするようになったー☆」

・・・・・ちょっとふざけすぎたかな(ぁ

でも、実際そんな感じですよね・・・?

まぁ、「よくわからんけど」の部分が「本能をよりのびやかに開化」という感じになってるかな





富野監督らしさ


さて、この文章、というか理屈は非常に富野監督らしいなぁという感じがします

とにかくもっともらしいけども、結局肝心な部分はうまくごまかすというか

でも、実際にそういったことが起こりえそうな気がしますし、

そういう意味では非常にリアルで説得力はある

でも科学的ではなくて、どちらかと言えばファンタジー・・・・



確かに、生活区間が限定されてくると対立をやめて戦争が無くなりそうな気もする

し、その後生活空間が広がるとまた戦乱の時代が来そうな気もする

戦争をやめてた分余計に反動がデカイというか・・・




ニュータイプ


そして、下から2行めの文

「人は、宇宙に出て、その本能をよりのびやかに開化させたのかもしれない」

これは、そのまんまニュータイプを思わせる記述ですよね

ニュータイプは分かり合えるのか?というテーマは様々なガンダム作品に登場して来ましたが

この文を読む限り、ニュータイプ=ここでいうところの「本能」であるならば

やっぱりニュータイプは殺し合いの道具でしか無いのか・・・・?

「ニュータイプの可能性」など、絵空事でしかないのか?という風に想像も膨らんできます





総評


「戦争だらけなのは何故?」の理由付けとしてはかなり不十分ですが、

想像の余地をうまく残し、肝心なところはごまかしてある

素晴らしい文章だと思いますね

富野監督の小説は、こういったサイドの小話?みたいなのが面白かったりして

こういったことも魅力の一つといっていいと思います

確かベルチル?か何かで

「もしもミノフスキー粒子が無ければ、宇宙世紀の戦争はミサイルの応酬で

あっという間にケリがつくだろう」みたいな記述があって、これもなるほどなーと思ったもんです




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